鴨長明と方丈記

方丈記は鴨長明がその晩年の58歳の年に書き上げた短編の随筆であり、有名な「行く河の流れは絶えずして・・・」で冒頭が始まります。この冒頭は、鴨長明が流され続けた挫折の日々の中で身につけたと思われる無常観を見事に書き表していると言うことができるでしょう。

 

鴨長明は、京都にある下鴨神社の由緒ある社家に生まれましたが、父が早く亡くなりました。跡目相続の争いのため不幸にも後を継ぐことができない結果に陥り、また、方丈記に鴨長明が記したように、住んでいた祖母の家を相続することもできなくなりました。30歳を過ぎてから小さな庵を河原の近くに作り一人住まいを始めております。

 

方丈記の前半は、鴨長明が若いときに経験した京での自然災害について詳しく記述しております。大地震、竜巻(辻風)、大火災、大飢饉などです。京のような都市に住宅を構えることは、このような災害の被害に巻き込まれる危険に向かうことであり、愚かなことであると言います。

 

60歳になる前には人里から離れて小さな庵を設け、そこで一生を終えております。この庵は約3メートル四方という狭いものですが、その中には、阿弥陀や普賢菩薩の絵像を安置し、箱には和歌や音楽の書物を入れ、また、琴や琵琶(楽器)を立てかけたと、方丈記に記しております。

 

鴨長明は、風雅を親しみ風雅に秀でた人であったということです。人里離れた草庵の暮らしは、自然とのふれあいを楽しむ生活であることを詳しく記しております。また、山のふもとにある山守(やまもり)のところに住む10歳の子供と仲良くなり、遊び歩いたことは心の慰めとなったと特に書いております。長明は子息はなかったといわれておりますが、孫とおじいさんの関係がもたらす楽しさを味わった様子です。

 

方丈記は、災害が起こると壊滅状態になる都市から離れた地に狭い庵を作り住み着いて自ら体験した利点を示し、また、質素な生活で十分に楽しむことができることを示しております。

 

最後は、仏(ほとけ)の教えは「執心なかれ(執着するな)」ということなのに鴨長明は庵での生活に引きつけられており、「執心なかれ」という仏の教えに背いていると嘆いております。これは、自分の「妄心(もうしん)」で気が狂っていることなどから来るのかと自問をしております。その答えは、何も求めない「南無阿弥陀仏」という念仏が口から二、三度出て来て、終わります。

 

方丈記はどの章からも勢いのようなものを感じますが、この最終章は自分の人生のあり方に対して生々しい自問を発してそれに答えようとする構成になっていると言えます。

 

鴨長明は、晩年になって、「無名抄」、「方丈記」最後には「発心集」を書き上げており、その意思の力と精神力には感心するほかありません。長明は62歳で人生を終えております。

 

以上については、武田友宏編「方丈記」角川ソフィア文庫、を基盤にして書いております。

 

 (付記1)

鴨長明は琵琶の名手だったと伝えられております。鴨長明が阿弥陀(あみだ)の西方極楽浄土(さいほうごくらくじょうど)で琵琶を奏でながら永久(とわ)を楽しんでいるかも知れません。

 

(付記2)

最終章は、「不請の阿弥陀仏、両三遍申して、やみぬ。」で終わります。武田友宏氏は上述の文庫本の中で、この「不請(ふしょう)」の解釈が7種類に渡ると、説明されております。同氏は「無我の境地にあって自然に口をついて出た念仏」と解されており、「仏(ほとけ)に対して心になんの請い願うところのない念仏(ねんぶつ)」に近いということです。同じように感じる次第です。